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連載 LS物語 (13)

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2018/03/06掲載(北見市/スポーツ・本紙連載)

北見から五輪へ

藤澤五月選手と吉田知那美選手の不思議な縁
カーリングが二人を引き合わせ
ライバルとしてともに歩み
同じチームでやることになるとは

吉田知選手(左)と藤澤選手(右)

吉田知選手(左)と藤澤選手(右)

藤澤五月選手(26)と吉田知那美選手(同)は同じ年代だが、もともと旧北見市と旧常呂町で育ち、学校も違えば、カーリング練習の拠点も違った。ジュニアのころはライバルだった二人。でも不思議な縁に導かれてきた。

 常呂の吉田知選手が小学生のとき、初めてカーリングの試合をした相手が北見の藤澤さんチームだった。藤澤さん家族はカーリング一家として知られ「五月さんの兄と姉も強かった」(吉田知選手)。

 当時も今も、北見市内にはカーリングホールが2カ所ある。北見市花月町の河西建設カーリングホールと常呂町カーリングホール。かつては協会も分かれ、北見協会からもオリンピック選手は出ていたが、常呂のほうが圧倒的に多く、北見の会員にとって練習会場も大きな常呂は、せん望の的。常呂町民は自分達の『常呂』を大いに誇りにしていた。

 そんな環境の中でも北見の藤澤五月選手はジュニアの大会では、常呂はおろか全道、全日本を圧倒。あまりの強さに、常呂の関係者の中にはライバル心を超えた感情を覚える人もいたようだ。

 そんなことは関係なく、藤澤選手と吉田知選手は当時「お手紙交換」をしていた。すると、教員の藤澤選手の父は吉田知選手が中学2、3年の時、赴任先の常呂中学校で偶然、担任になる。

 藤澤選手が同年代の日本一を競う日本ジュニアの路線を進み、吉田知選手はおとなも含めた全年齢対象の日本選手権の路線を歩む。「あのころは、こうして同じチームでやることは考えてもいなかった」 <つづく>(寒)