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2019/06/11掲載(北見市/社会・本誌連載)

北見・男性(82)
「本当によい仕事をさせてもらった」
SL機関士時代の懐中時計や腕章

北見市の男性(82)は、長く鉄道の仕事に関わり、20年近くSL機関士を勤めた経験を持つ。大きな時代の流れとともに、鉄道は蒸気機関車(SL)からディーゼル・電気を動力とした列車に切り替わり、男性の職場も国鉄からJR、ちほく高原鉄道へと変わっていった。そんな中でも、SLへの想いはやはり特別で、昔使っていた懐中時計や腕章、写真などを眺めることがあるという。

時代とともに蒸気からディーゼル・電力車に
切り替わりゆく…当時に思い馳せ

懐中時計、腕章

懐中時計、腕章

国鉄職員の息子として1937(昭和12)年に置戸町で生まれた。父親は線路を維持する保線の仕事をしており、転勤で北見、美幌、女満別、津別と移り住んだ。高校卒業後、父親の影響もあって自身も国鉄職員となった。「最初の仕事は庫内手。走り終えたSLを清掃していました。毎日すすで真っ黒になりましたね」と振り返る。

 SLはボイラーで石炭を燃やして水を熱し、蒸気の力で走行する。運転には機関士と機関助士の2人が必要で、機関士は加減弁ハンドルで蒸気を送る量を加減してスピードを調整したり、ブレーキ弁を操作。機関助士は安定して蒸気が出るようにボイラーに石炭を入れたり水を送ったりする。男性は1957(昭和32)年に機関助士に、63年に機関士となった。腕章はそのときのものだ。

 懐中時計は常に持ち歩いていたそうで「これを手に出勤し、点呼の際に助役の時計と合わせます。時刻表に沿った運行のために絶対に必要なことでした」。SLの運転台には時計置き場があり、そこにはめ込んで使っていたという。

 1981(昭和56)年に機関区の助役となってSLを降りてからは、後進の育成に努めた。「SLが姿を消してディーゼル車に切り変わったのは、ちょうどこのころでした」と懐かしむ。

 その後、87年に国鉄の民営化でJR社員となり、92(平成4)年にはちほく高原鉄道へ出向、87年に退職した。

 男性は「父の背中を見て育ち、気づけば同じ鉄道の道を進んでいました。本当によい仕事をさせてもらった」と話している。(公)

※元SL機関士・男性が撮影したSLの写真を後日紹介します。

 

機関士時代。SLの運転室で

機関士時代。SLの運転室で