「次は育留蘂山(三角点名、標高754・9㍍)あたりに登ってみようかな」と考えていた3月中旬。武四郎について調べていたところ、自分にとっては少し衝撃的な文章が目に止まりました。
美幌博物館が2007(平成19)年に開いた特別展に合わせて編集・発行した図録「北海道を探検した男 松浦武四郎~道への憧れ・挑戦~」。「すぐれた絵描きとしての目」の項目に、こう書かれていました。
「彼がスケッチした中で、山々を描いたスケッチがありますが、その中には、実際は山同士の距離がかなり離れているのに、スケッチでは距離的に接近した形で描かれているものがあります」。
確かに武四郎のスケッチでは、和琴半島と中島の間の奥に藻琴山が描かれていますが、実際にはそう見える場所はどこにもありません。藻琴山も、近づけて描かれたのでしょうか。三重県にある松浦武四郎記念館にたずねてみました。
記念館は「描写対象を強調したり、多少デフォルメして描くことは美術の世界ではよくあることです。武四郎は美術の専門家ではありませんが、経験的、本能的にその辺を体感していたため、実際の距離感などをデフォルメしていた可能性はあります」と答えてくれました。
3月下旬、予定していた育留蘂山にも登りました。岩田主山より東に位置している分、和琴半島、中島、藻琴山のバランスが良く「ここが落としどころかな」と感じました。360度のパノラマで、どの方角もすばらしい眺めが広がっていました。
結局、図のような風景は見られませんでしたが、〝調査〟自体は大いに楽しめました。武四郎は阿寒湖や摩周湖も描いており、これに懲りず、機会があればまた武四郎が描いた景色を探して歩きたいです。 (おわり) (浩)