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伝書鳩アーカイブズ 日刊情報フリーペーパー「経済の伝書鳩」の掲載記事を、様々なテーマでピックアップ!オホーツク地方の魅力がつまった話題、季節感あふれる風物詩などをまとめてご紹介します!

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※各テーマの記事は最新のニュースから順に掲載しています。

 

テーマ:シリーズ田園空間博物館

シリーズ田園空間博物館 (17)

2020-09-24/北見市

北見ハッカ記念館
歴史・文化的遺産の伝承を
工場事務所を修復して記念館に

 北見では開拓当初から寒さに強く、高価な農作物としてハッカ栽培が積極的に行われていた。

 1934(昭和9)年に北聯(ほくれん)北見薄荷工場が建設され、最盛期には世界の生産量の約7割を占めるまでに成長した。

 ところが戦後、合成ハッカや外国産の台頭により生産が激減。工場は83年に閉鎖されたが、工場事務所を修復改良し「ハッカの歴史・文化的遺産の伝承を」と、86年に記念館として開館した。

 乾燥ハッカの標本、当時のハッカ工場の模型などを展示。2002(平成14)年には隣接地に薄荷蒸溜館がオープンし、ハッカの蒸留などが見学できる。    (成)

シリーズ田園空間博物館 (16)

2020-09-18/北見市

金刀比羅さくら公園
桜の名所でホタルの里

 上ところの金刀比羅さくら公園は、金刀比羅神社に隣接する。春は桜、夏はホタル、秋には紅葉などと四季を通じて楽しめる。

 山頂にある金刀比羅神社は1915(大正4)年、香川県琴平町金比羅本宮から分霊された。本殿に続く石段の参道には約650本の桜が植えられ、北見を代表する桜の名所のひとつとなっている。

 ふもとの清流では、上ところホタル友の会によりホタルの里が作られ、夏には観賞会が開かれている。 (成)

シリーズ田園空間博物館 (15)

2020-09-16/北見市

北光社開拓記念広場
身を粉にして荒野を切り開く
北光社農場本部跡地

 屯田兵と時を同じくして1897(明治30)年、北光社開拓移民団が高知県から開拓を目的に入地した。北光社開拓記念広場は北光社の農場本部跡地。

 北光社は、坂本龍馬のおいで自由民権運動の代表的理論家の坂本直寛が、民主的・理想的近代国家を夢見て、95年に設立した。

 衣食住もままならない中、身を粉にして荒野を切り開いた。寒さと冷水害などにより開拓は困難を極め苦労の連続だったが、北見開拓の礎となった。(成)

シリーズ田園空間博物館 (14)

2020-09-15/北見市

常呂川
上水道や農作物に利用
大地に潤いを運ぶ常呂川

 常呂川は大雪山系の三国山に源流をもち、置戸、訓子府、北見を貫流し、オホーツク海に注ぐ長さ120㌔の一級河川。

 常呂川流域の北見・端野の低位部には肥沃な大地が広がり、その沃土を求めて1897(明治30)年に屯田兵が入植し、開拓が始まった。

 水を河川から取水する頭首工の建設により、水田整備が進み、オホーツク管内で数少ない稲作地帯となった。このほか河川の水は上水道、畑作や食料品工業の用水などとして利用される。  (成)

シリーズ田園空間博物館 (13)

2020-09-14/北見市

屯田歩兵第四大隊本部跡地の石碑
屯田公園
隣接地には市民会館などの公共施設

 屯田公園は屯田歩兵第四大隊の本部跡地であることを永く後世に伝えるため建立された「営門の跡碑」や「開村記念碑」などの石碑が多い。

 このほか坂本龍馬のおいの坂本直寛によって組織化された移民団「北光社」のリーダー的存在だった前田駒次、初代北見市長で1947年から63年まで4期16年務めた伊谷半次郎ら、北見の歴史を語る上で欠かせない人物の像が並ぶ。

 隣接地には市民会館や勤労青少年ホームなどの公共施設がある。    (成)

シリーズ田園空間博物館(12)

2020-09-10/北見市

屯田兵村(相内)
屯田兵入植当時の面影残す
屯田かんがい溝は今も活用

 北見・端野に入植した屯田兵の当時の面影を今も残す場所が相内地区。現在の相内公園が屯田兵達が訓練に汗を流した練兵場跡地だった。

 近くには屯田歩兵第四大隊第三中隊本部兼上野付牛兵村事務所をはじめ、射撃場、近代農業を学んだ事業場などがあった。

 すぐ北側を流れる屯田かんがい溝は、留辺蘂から端野までの約32㌔に及ぶ農業用排水・用水施設=写真=。屯田兵によって1902(明治35)年に完成された。現在でもその経路の多くが残され、利用されている。先人が作った施設の素晴らしさがうかがえる。(成)

シリーズ田園空間博物館 (11)

2020-09-07/北見市

上仁頃美里開拓資料館
開拓時代の家庭用品や農機具
地域住民の収集物展示

 地域住民による研究グループ「上仁頃美里郷土研究会」が収集した郷土資料が展示されている私設資料館。

 上仁頃は1906(明治39)年、美里は12年にそれぞれ移民団が入植して開かれた。資料館は82(昭和57)年に廃校になった上仁頃小学校美里分校の校舎と体育館を活用。ハッカ蒸留釜、開拓時代に使用された家庭用品、農機具など約千点が展示されている。地域の歴史を知る上で貴重な資料が並ぶ。

 私設資料館のため見学には事前連絡が必要。問い合わせは同研究会の角会長(0157・33・2542)へ。(成)

シリーズ田園空間博物館 (10)

2020-09-04/北見市

協和は北見・端野地区を代表する畑作地帯
畑作風景(協和)
ジャガイモ、てん菜など

 北見市端野町協和は北見・端野地区を代表する畑作地帯で、北海道らしい雄大な眺望が広がる。作付けされているのはジャガイモ、てん菜、タマネギ、麦類など。

 ジャガイモは7月上旬には一斉にかれんな花を付け、小麦は7月下旬に色付き収穫期を迎える。てん菜(ビート)は寒冷地を代表する作物で、11月上旬まで収穫作業が続く。ビールの原料の二条大麦(ビール大麦)の作付けにも取り組んでいる。

    (成)

シリーズ田園空間博物館 (9)

2020-09-02/北見市

富里ダム
周辺には富里湖森林公園整備

 富里ダムは1987年に完成した農業用ダム。かんがいや洪水調整に使われている。ダム周辺には富里湖森林公園が整備され、キャンプ、ハイキング、釣りなどのレクリエーションが楽しめる。

 シナノキ、ミズナラ、トドマツ、カラマツといった針葉樹と広葉樹が入り混じり、新緑や紅葉が満喫できる。エゾリス、ヤマゲラなどの動物や鳥が生息しており、鳥獣保護区になっている。冬には富里湖でワカサギ釣りが楽しめる。  (成)

シリーズ田園空間博物館 (8)

2020-08-27/北見市

緋牛内の大カシワ…樹齢推定350年以上
カシワの中で幹周は日本最大級

 北見市端野町緋牛内の大カシワは、国道39号を端野から美幌に向かって、高野第1バス停手前左手の砂利道を約700㍍進むと到着する。

 樹高約17㍍、幹周約5㍍、樹齢推定350年以上。幹周はカシワの中で株立ちが1本のものとしては日本最大級とされる。

 地域の開拓当初から「山の神」として祀られていたという。歴史の重みを感じさせるように力強くそびえ立っている。 (成)

シリーズ田園空間博物館 (7)

2020-08-26/北見市

北見市にある鎖塚
中央道路工事にあたった囚人の墓標

 1891(明治24)年、網走・空知両監獄の囚人約千人を動員し、5月から12月までの突貫工事で中央道路(網走-旭川間)が完成した。北見市端野町緋牛内にある鎖塚は工事で亡くなった囚人の墓標とされている。

 過酷な労働と栄養不足から300人以上が犠牲となった。囚人が埋葬されたまんじゅう型の3基の塚(土まんじゅう)に、逃亡防止のための鉄球や鎖が残されていたことから鎖塚と呼ばれるようになった。

 端野の開拓は97年の屯田兵の入地により本格的に始まったが、端野開拓の先駆けとして供養碑を建立。尊くも哀れな御霊を弔っている。(成)

シリーズ田園空間博物館 (6)

2020-08-24/北見市

北登蒸留施設(北登シソ蒸留場)
ハッカに代わりシソの蒸留場に

 開拓当初から寒さに強く、高価な農作物として積極的にハッカを栽培し、1939(昭和14)年に世界の生産量の約70%を占めるまでに成長した。67年にはハッカの蒸留施設として北登蒸留施設が建設された。

 ところが、合成ハッカや外国産の台頭により需要が伸びずハッカを栽培する農家が激減し、作付面積も減少の一途をたどった。83年、北見の薄荷工場が閉鎖した。これに伴い蒸留施設は現在、ハッカに代わってシソの蒸留に使用されている。    (成)

シリーズ田園空間博物館 (5)

2020-08-20/北見市

屯田の杜公園
屯田兵による開拓の歴史を伝える公園
歴史民俗資料館や石碑、多彩な運動施設

 屯田兵によって開拓された端野の歴史を伝える公園。園内には屯田兵を偲ぶ石碑が多く建立され、開拓の歩みを紹介する歴史民俗資料館などがある。

 資料館には北方警備と開拓のために入地した屯田兵の貴重な資料、当時を復元した兵屋、主要作物だったハッカの蒸留釜、農機具などを展示している。

 このほか、公民館をはじめ図書館、トレーニングセンター、野球場、パークゴルフ場、多目的グラウンドなど運動施設が充実している。夏はウオーターパークに涼を求めて子どもや家族連れが訪れる。    (成)

シリーズ田園空間博物館 (3)

2020-08-06/北見市

豊実神楽
郷土芸能の灯を消すな
端野の豊実神楽保存会が継承

 豊実神楽は宮城県丸森町大内地区からの入植者が1930(昭和5)年、大内山伏神楽を端野の豊実地区の人に手ほどきしたのが始まり。

 地域の祭りや正月に豊実神社で舞いを奉納していた。一時中断したが道具類が保存されていたことから「復活を」の機運が高まり72年、豊実神楽保存会を結成した。

 会員が丸森を訪問し、笛や太鼓、舞いの指導を受けるなど交流を深めた。相互訪問をきっかけに96(平成8)年、旧端野町と丸森町が姉妹都市提携した。

 同保存会は「伝承してきた郷土芸能の灯を消すな」と活動を続けている。  (成)

シリーズ田園空間博物館 (2)

2020-07-22/北見市

水田風景(三区)
端野の水田発祥の地石碑
米作りへの情熱と歴史刻む

 旧野付牛屯田第四大隊第一中隊が1897(明治30)年に100戸、翌年に100戸の合わせて200戸が端野に入植した。農業は寒冷な気候のため畑作のみを行っていたが、「なんとかして米が作れないものか」と、何度も試みたという。

 稲作には河川の治水とかんがいが不可欠だったことから、1924(大正13)年にかんがい溝の掘削に着手し、翌年完成した。

 当初は田んぼに種をまく「直播」(じかまき)で稲作を行っていた。稲の育ちが遅く、冷害の被害を受けることが度々あったため、寒さに強い種や作り方の研究を重ねた。その結果、温床やビニールハウスで苗を育て、田に植えるようになった。

 先人の米作りへの情熱を受け継いだ子孫達により、管内でも有数の稲作地へと変貌を遂げた。

 北見市端野町三区の屯田農村生活センター前の田んぼに、稲作の歴史を刻む端野町水田発祥の地の石碑が建立されている。 (成)

シリーズ田園空間博物館 (1)

2020-07-14/北見市

農村地域を展示物に見立て

 農村には、美しい景観や豊かな自然のほか、長い間に培われてきた伝統や文化など、さまざまな魅力が存在する。農村地域を一つの屋根のない博物館の展示物と見立て、保全・活用しようという農林水産省の取り組みが「田園空間博物館」。北見・端野地区にもあることから、シリーズで紹介する。

端野「石倉公園」
交流促進を図る場として定着

 北見市端野の石造り倉庫の一部を改修し、2006(平成18)年にオープンしたのが石倉交流センター。

 石造り倉庫は1932(昭和7)年、政府米指定倉庫として建築され、収穫した米などを保管するのに使用されてきた。道道川向端野線(旧国道)に面し、農業振興センター前に位置する。

 倉庫3棟のうち1棟(約300平方㍍)の古くなった屋根などを直し、内部を交流ホール、展示コーナーで構成する石倉交流センターに改修した。倉庫周辺の約1400平方㍍を広場とし、あずまやを設け石倉公園がオープン。

 交流ホールはフローリングで舞台、照明を備え、多目的に利用できる。社交ダンスや音楽サークルの活動拠点となり、イベントもゴスペルライブ、劇団の公演など多彩。

 歴史的施設を資源として活力ある地域づくりに生かし、住民の交流促進を図る場として定着している。 (成)