余命1、2カ月…2年生存率10%から回復

2024-04-05 掲載

(訓子府町/社会)

訓子府・安岡 祐一さん(39)

 訓子府町の酪農業・安岡祐一さん(39)は20代のとき、胸椎に腫瘍が見つかった。脊髄を原発とするリンパ腫のほか脳腫瘍も判明。世界に数例しかない症例と診断された。治療するも容体は悪化。余命1、2カ月、治療しても2年後の生存率10%と言われ、「奇跡を起こすんだ」と覚悟を決めた。最後に残った手段は、さい帯血移植。オホーツクメンタルヘルス懇話会の勉強会に招かれ体験を語った。

さい帯血移植で「奇跡を起こすんだ」

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 27歳の2012年4月、背中にしびれを感じたのが最初だった。5月にはしびれがひどくなり、病院に行くと、胸椎4番周辺の腫瘍が脊椎を圧迫していると言われた。肺に影があることも分かり、診断のつきにくい病名で、転院をすすめられた。

 7月、旭川医大病院は脳の腫瘍の影響が考えられると、脳腫瘍からEBウイルスを検出するも確定診断できず。10月に初めて、節外性NK/T細胞リンパ腫・鼻型中枢神経原発ステージ4と特定された。白血球の中のリンパ球のうちTリンパ球またはNKリンパ球ががん化する病気。「脊髄原発で脳にも腫瘍ができるのは世界でも数例しかない」と言われた。

 11月になると、内臓にも転移。抗がん剤治療などを始めるが、体調は悪化した。明けて4月、血球貪食症候群と診断され、余命1、2カ月と言い渡される。それでも「0かもしれないが奇跡を起こす。闘うと覚悟を決めた」。

脊髄原発の腫瘍…世界でもまれな症例
オホーツクメンタルヘルス懇話会で体験語る

 骨髄移植に向けて、2人の妹はHLA(ヒト白血球抗原)が合わず、骨髄バンクのドナーも合致する人が現れず断念。安岡さんの場合、2年生存率10%ないと言われたが、さい帯血移植を受け入れる。「0か100かの決断だった」。7月上旬に全身放射線治療を開始。7月10日にさい帯血移植を受けた。8月上旬に無菌室から移動。40度近い高熱が襲ってきた。リハビリを行い、11月中旬に退院できた。

 2014年5月に牛舎の仕事に復帰できた。その1年後には趣味の車いすバスケットボールも始められた。今は3カ月に1回、通院している。

 さい帯血移植から10年が経過し「親身になって支えてもらえて今がある。他人のために何かできないか」と考え、北海道骨髄バンク推進協会北見支部などと相談。「体験を話すことぐらいしかできないが、ドナーが増えて1人でも多くの生命が救われれば」と語り部を買って出た。

 勉強会は安岡さんが「今を生きる」と題して講演。17人が受講した。主催した同懇話会事務局の吉谷優子さんは締めくくりに「今後も回復者の体験談を聞く機会をつくらなければ」と話した。(寒)

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