
強く正しく巧みに美しくという理念を基にグループ名そのままに、工夫研究し修錬する学習集団として2004年5月に設立。みんなが先生、みんなが生徒という相互教育の精神を共有し、質の高い豊かな人間形成をめざした活動を実践している。
多くの優秀な剣士育て
自身も稽古に精進
田中氏は小・中学校教員から道教委をへて当時の北海学園北見大学教官に転身。多くの優秀な学生剣士を育てた。1981年に教授になると管内の剣道組織で59年から休止していた網走管内剣道連盟協議会の再建に奔走。先頭に立って指導体制の確立に尽力した。
その一方、北見市の生涯学習推進計画策定委員長や社会福祉審議会保育部会長など要職を歴任。北見NPOサポートセンターの創立理事長を務めた。保育園運営にも心を注ぎ、社会福祉法人遊子社理事長として08年、市内初の北見市あんしん子育て情報配信サービスを手がけている。
ライフワークの剣道では、ねんりんぴっくに道代表として出場。北海道高齢剣友会会長を務めた07年には「地方勢にも活躍の場を」と団体交流大会を創設。60歳以上と75歳以上の部を設け、生涯一剣士をめざす人達が集う場となった。23年に同グループの仲間が初優勝すると田中氏は人一倍喜んだ。
田中氏に誘われ61歳で剣道を再開し、高齢者全道大会で優勝を果たした同グループ現・共同代表の飯田淳一さん(78)は「金を残すは三流、仕事を残すは二流、人を残すは一流という言葉通り、剣道仲間への面倒見のいい人でした」と振り返る。全日本高齢者大会優勝の実績をもつ同共同代表の永井常幸さん(73)は「みんなが先生、みんなが生徒というグループ精神をはじめ数々の田中先生の遺志を受け継いでいかなければ」と気を引き締める。
田中氏は教士七段、全日本高齢剣友会副会長。長年にわたり剣道の普及、発展に貢献したとして17年に全日本剣道連盟から剣道有功賞が贈られている。80歳を過ぎても稽古に精進する姿勢について本人は「剣縁無上」の精神に近づくためとしていた。最高の勝利は戦わずして勝つという剣道の教えで、田中氏は「一日でも長く、竹刀を持ち続けたい」と語っていた。 (寒)