北の富士さんは1942(昭和17)年3月、美幌町生まれ。小学校低学年前後まで美幌で過ごしたという。
横綱時代の71年8月に美幌小学校校庭で開かれた大相撲美幌場所で来町。古里に凱旋を果たし、大観衆の中で土俵入りや取組を披露したとされている。
その71年の11月場所(九州場所)では優勝。優勝を記念して作られる、高さ3・2㍍、幅2・2㍍の巨大な肖像画を美幌町に贈った。肖像画はスポーツセンターの壁面に長く飾られていた。現在はセンターの耐震改修工事などに伴って外され、保管されている。
美幌町の平野浩司町長は「訃報を聞き、大変残念。さまざまな記念の品をいただいており、これからも大切にしていきたい」と話した。美幌相撲連盟会長の白尾聡さん(41)は「美幌が誇る大横綱。偉大な功績と人柄で全国の相撲ファンに愛されました。古里の名を広めてくれたことに感謝したい。第2の北の富士が誕生するよう、天国で応援してくれたら」と悼んだ。
びほーるでは、肖像画のほか、旧町民会館に置かれていた高さ2㍍、幅3㍍ほどのワシの木彫、美幌場所の番付表などをギャラリーに展示。展示は2週間ほど続ける予定。美幌町教育委員会の浅野謙司社会教育課長は「美幌町生まれの横綱をあらためて知り、思いを寄せる機会になれば」と話している。(浩)