武四郎の足跡探して ㊤

2025-05-23 掲載

(美幌町/話題)

「屈斜路湖の図」の景色求め歩いてみました

 今から180年ほど前に蝦夷地(現在の北海道)を調査に訪れ、北海道の名付け親として知られる松浦武四郎。道中で数多くのスケッチを描いており、その中の一つに屈斜路湖の絵もあります。和琴半島と中島の奥に藻琴山を望む「屈斜路湖眺望の図」。美幌博物館にも展示されています。「武四郎がこれを描いた場所はどこなのだろう」と興味がわき、3月に釧路管内弟子屈町の山をいくつか歩いてみました。

屈斜路湖眺望の図(松浦武四郎記念館所蔵) == 株式会社伝書鳩|経済の伝書鳩|北見・網走・オホーツクのフリーペーパー ==
屈斜路湖眺望の図(松浦武四郎記念館所蔵)

 武四郎は、1845(弘化2)年から58(安政5)年の間に6回、蝦夷地を調査に訪れました。6回目の58年の調査では、釧路、阿寒を経て津別や美幌、女満別を通り、オホーツク海を眺めたとされています。

 「多くの人に蝦夷地の現状を知ってもらいたい」という思いなどから、道中で風景をスケッチしており、阿寒湖や屈斜路湖、摩周湖の図は美幌博物館にもパネルが展示されています。

 屈斜路湖眺望の図は、釧路川源流部に近いオプタテシケヌプリ(標高503・9㍍、二等三角点・雄武建山)近くからの風景によく似ていますが、藻琴山(図ではウラエウシ岳、クスリ岳)が美幌峠あたりに描かれており、位置が合いません。

 「ここよりもっと西側の山に登れば、武四郎が見たような風景になるのかな」と思い、屈斜路湖南側の山に登ってみることにしました。

 地図をぼんやりと眺め、最初に登ったのは奥春別山(標高476㍍)。無事に登頂できましたが、屈斜路湖との間にある標高500㍍前後の尾根にさえぎられ、湖すら見えませんでした。藻琴山の頭が見えただけでした。

 奥春別山の教訓を生かし、次に目指したのは、和琴半島に近く、国道243号からも見える岩田主山(標高607㍍)。山頂からは、スケッチとは角度が異なるものの、和琴半島と屈斜路湖の中島、藻琴山を1枚に収めることができたのが大きな収穫でした。

(つづく)

和琴半島や中島の位置は良いオプタテシケヌプリ(3月1日撮影) == 株式会社伝書鳩|経済の伝書鳩|北見・網走・オホーツクのフリーペーパー ==
和琴半島や中島の位置は良いオプタテシケヌプリ(3月1日撮影)
湖すら見えなかった奥春別山(3月8日撮影) == 株式会社伝書鳩|経済の伝書鳩|北見・網走・オホーツクのフリーペーパー ==
湖すら見えなかった奥春別山(3月8日撮影)
 == 株式会社伝書鳩|経済の伝書鳩|北見・網走・オホーツクのフリーペーパー ==

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