
陸上クラブのオホーツクACの初代メンバーとして、中2で全道中学女子千5百㍍(以下すべて女子種目)6位入賞、中3のときには選考会の3千㍍で2位となり東日本女子駅伝の北海道代表メンバーに選ばれた。
北見緑陵高校に入り競歩競技に転じるも、新型コロナの流行に巻き込まれる。高2の2020年はリモートで行われた高校選手権で全国3位、コロナ中止に伴うインターハイ代替のJOCで2位。高3の21年に出した全国高校リモートでの5千㍍競歩22分37秒59は今も北海道記録として破られていない。
このタイムにより全国ランキング1位で臨んだインターハイ5千㍍競歩は、終盤まで競り合うもレッドカードを2枚もらい、あとがない展開にペースを乱され7位、次ぐU20も7位に甘んじている。
大学1年の22年インカレは3位でその年度の日本ランクは9位。これからという矢先、その冬に友達の車に同乗していて交通事故に遭う。腕を骨折し、つなぎのボルトは今も入っている。半年以上かかって練習を再開するも、大学の都合で急きょ出場することになった駅伝で今度はアキレス腱を負傷する。
大学2年だった24年は、パリオリンピック代表選考会を兼ねた2月の日本選手権で13位、同じく翌3月の全日本競歩で3位入賞するも届かなかった。
この頃から、新たな外部コーチのアドバイスが「自分に合うようになった」と永井さん。24年12月の長崎陸協大会1万㍍競歩を45分40秒67で優勝。これは日本学生歴代7位の好タイムで北海道記録を塗り替え、日本ランクは4位に浮上した。
その勢いで今回の日本学生個人選手権に臨み、25人が出場するなか序盤から先頭に立ち引っ張ると、中盤に迫ってこられたが立て直し、2位に30秒以上の差をつけて圧勝した。「直前のランキングが1位だったのでプレッシャーもありましたが、優勝できてホッとしています」と振り返る。
大型連休に合わせ北見に帰郷し、オホーツクキッズの練習会場に顔を出した。クラブ初の日本チャンピオンの誕生といううれしい報告に、代表の金子航太さんは「小学生は競歩競技はないけれど、練習の合い間に永井さんの真似をしたり、早くも子ども達の良い刺激になっているようです」と手放しの喜びようだ。
北見緑陵高校の時の陸上部顧問の伊藤浩紀教諭(現・北見北斗高校)は「高3のインターハイのレース後、大泣きしたのを思い出す。苦労が多かったと思うが自分なりの考えを持ち、たくましくなって嬉しい。ご両親の応援も大きかったと思う」と成長を喜ぶ。
永井さんによると、「最近になってフォームが変わった」という。「そもそもの人間の体の動きに注目したフォームで、歩きと走りが半分くらいのイメージ。無駄な力が抜けた」そう。今大会ではレッドカードを1枚ももらわず「自然体で歩けた」と何か吹っ切れた様子だ。
ここにきて、さらなる伸びしろを感じさせるが、本人はあくまで「今はホッと、ひと区切りです」。予定を聞くと「6月上旬まで教育実習で、その後は何も決まっていません」と、今後も永井流マイペースで歩む。