
近江谷杏菜選手(35)は網走南ケ丘高校3年の2007年11月、パシフィックカーリング選手権に出場する日本代表のチーム青森にスポット参加。08年に正式に加入すると、その年の日本選手権に優勝し世界選手権は4位。09年11月のバンクーバー五輪日本代表決定戦では小野寺佳歩選手(33)、吉田知那美さん、鈴木夕湖さんら高校生のチーム常呂(ROBINS)、吉村紗也香選手(33)ら高校生の常呂高校(Wins)と対戦している。結果、同代決で勝利をつかみ、10年バンクーバー五輪には小笠原(旧姓小野寺)歩さん、船山(旧姓林)弓枝さん、近江谷選手らのチーム青森が出場した。
小野寺選手は近江谷選手らがバンクーバー五輪に出場した10年、推薦を受け中京大に進学。高校時代には陸上女子100㍍ハードルと七種競技でインターハイに出場している。
中学1年でカーリングチーム入り。常呂にカーリングを伝えた小栗祐治氏が名付けたチームROBINS(ロビンズ)には同級生の吉田知那美さん、鈴木夕湖さんらがいた。
公式戦にはグループ名で出場できないことから、常呂中学校のチーム名で北海道選手権を経て、中2で2006年日本カーリング選手権に出場。予選リーグで小笠原さん、船山さんらのチーム青森を破り、中学生旋風と話題になった。チーム青森は06年トリノ、10年バンクーバー両五輪に出場した当時の日本最強チーム。06年日本選手権の決勝トーナメントで再び対戦すると、チーム青森は本気で中学生に立ち向かい、圧倒されたチーム常呂中学校はハウスに一つもストーンが無いのにタイムアウトを取ったと当時の小野寺亮二コーチ(佳歩選手の父、現ロコ・ソラーレ)が打ち明けた。選手達は日本選手権銅メダルを常呂に持ち帰り、小栗さんが一番に喜んだ。「この子達がオリンピックに出場するまで見届ける」と話した。 <つづく>(寒)