
2007年の日本カーリング選手権を前に記者会見でチーム常呂中学校(ロビンズ)の小野寺佳歩選手(当時・常呂中3年)は「今年はチーム青森から2点取るぞ」と張り切り、周囲を和ませていた。中学生にとってチーム青森は雲の上の存在だった。それでもチーム常呂中学校はこの年も3位。おとなに交じって堂々の銅メダルも吉田知那美選手、鈴木夕湖選手らに喜びはなく悔しさの表情だった。吉田夕梨花選手が加わり現在のロコ・ソラーレの基礎となるチームが誕生し、将来の夢をあらためて誓い合う原点になったのがこの頃だろう。ただその後、進路が別々で、分かれ分かれでの活動になる。
近江谷杏菜選手は翌2008年、チーム青森に正式加入すると、その年の日本選手権で優勝し、世界選手権に出場(4位)。吉村紗也香選手、小野寺佳歩選手、藤澤五月選手、吉田知那美選手らとは2学年上の世代で、先に第一線へとのぼり始める。
遅咲きの吉村選手らも高校生になると頭角をあらわす。
そろって常呂高校に進学したWinsのは、学校にほど近い常呂のカーリングホールで練習に励む。高2の2009年には第4回全国高校カーリング選手権で優勝。その年の日本選手権で2位になり、バンクーバーオリンピック日本代表チーム選考会の出場権を獲得した。
同級生の小野寺佳歩選手を加えて臨んだ代表決定戦は、予選でチーム長野に1勝2敗で敗れ、オリンピック最初の挑戦は終了した。常呂高校の先輩で長野オリンピック男子日本代表スキップを務めた敦賀信人さんはそのとき「彼女達のチームは将来、長野や青森勢の脅威になる」と明言していた。
<つづく>(寒)