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敬老企画連載 ご長寿さん

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2020/10/08掲載(置戸町/本誌連載)

置戸・女性(101)

陶芸や短歌、切り絵など多彩な趣味 たくさんの方のお世話に
看護婦として戦地にも「戦争はやったらいけない」

町の講座で切り絵、ちぎり絵を創作

町の講座で切り絵、ちぎり絵を創作

 置戸町の女性は1919(大正8)年生まれの101歳。かつて看護婦(師)として戦地に出向き、日本の負の歴史を知る数少ない生き字引だ。今も「なんであんな戦争をしたんだろう。絶対、戦争はやったらいけない」と、はっきりとした言葉で悔やむ。

 山口県阿武郡吉部村(きべそん=現・萩市)に8人きょうだいの7番目として生まれる。15歳で母親を亡くし、幼い頃から希望していた看護婦の仕事に就いた。まもなく人が足りないと17歳で召集され、山口日赤病院から中国・天津の陸軍病院へ。「盧溝橋事件(1937=昭和12年)の発生地に近く、支那事変(日中戦争)の真っ只中でした」。

 100人あまりの職員を数えた天津陸軍病院で、その後結婚に至る衛生兵の山本義一さんと出会っている。女性は2年間の任務で帰国。その後結婚した二人だが、幼い子を残し、夫は三度にわたり召集され、戦地に渡った。

 我が子4人の長男で、置戸町の男性(78)によると「父親は戦後、夕張の市役所に勤め、子ども達を食べさせなくてはならず、農業を営む本家を頼って置戸に入った」そう。置戸町役場に勤務し、退職後は代書業(行政書士)を開業したが58歳で亡くなった。

 その後女性は単身、帯広の医療福祉施設で再び看護婦として働く。50歳過ぎてから8年間勤務し、その後は置戸で長男家族と暮らす。今年、亡き夫の50回忌を務め上げた。

 趣味の陶芸は管内で表彰を受けたことも。家の近くにある図書館や公民館の講座に通っては切り絵などを覚えた。ちぎり絵は色使い、写実性ともに玄人はだし。短歌に親しみ、86歳で歌集「夕映え」を出版。「去りし日は美しき夕映えに染りゆく悲喜こもごもに歩みきし道」など、これまでに作った歌を収めた。

 記憶も言葉も歩くのもしっかりしていて、週2回通う町のデイサービスが楽しみ。病院に行くのも楽しみで、でも病気で行くことはほぼない。定期健診ではいつも医師から百点満点をもらう。耳が少しだけ遠く要支援だが要介護ではない。現在も書道、大正琴と趣味を持ち続け、ときおり花札で遊ぶ毎日。

 長生きの秘訣について聞くと、やさしく柔和な表情でまず「たくさんの方にお世話になりました」と感謝を忘れない。「貧乏に生まれ、自分の体は自分で守らなければならなかったんです。今も好き嫌いなく良く食べます」と澄んだ目で話す。 (寒)

 

歌や句を達筆に短冊にしたため

歌や句を達筆に短冊にしたため

昭和10年代に勤めた天津陸軍病院で(中列右端)

昭和10年代に勤めた天津陸軍病院で(中列右端)

陶芸作品を配置した自宅庭を背景に

陶芸作品を配置した自宅庭を背景に