
「ご長寿をことほぐこの日に当たり〜内閣総理大臣・菅義偉」と、置戸町に暮らす中村淑さんに9月15日、百歳の祝い状と銀杯が届いた。6月の誕生日には深川正美置戸町長から花束を受け取っている。大正、昭和、平成、令和と生き抜く女性。年齢を重ねてもなお、かくしゃくとした姿に憧れさえ覚える。「記念になります。ありがたいです」と感謝する声が美しい。
1921(大正10)年、北見の江部家に生まれた。家業は駅前の野付牛ビルディング(後の金市館)、その後丸正デパートでピアノなどを販売した老舗楽器店。戦時中の1943(昭和18)年に置戸の家へと嫁いだ。結婚については「子どもの頃から本を読むのが好きだったので本屋さんに嫁げるのがうれしかった」そう。
ところが汽車で置戸に来てみると「駅から降りたとたん、目の前に山が迫り驚いた」。少なからず不安だっただろう女性を、嫁ぎ先が良くしてくれた。なかでも夫の孝さんは大事にしてくれた。役場勤務を辞め、家業の書店バラエティなかむらを継ぐために、淑さんの実家の北見の楽器店で修業を始める。
周囲のやさしさを知ってか知らずか「私はボーッと生きてきた。鈍感力が長生きの秘訣なの」と好きな作家・渡辺淳一のエッセー集「鈍感力」(2007年)を引き合いに謙遜する。95歳までスポーツセンターの生命の貯蓄体操に通い、スクワットやでんぐり返しはへっちゃらだった。自宅の裏手に病院があり行くと「どこも悪くない」「でもたまに来なさい」と先生に言われるそう。
自分がしてもらったように「お嫁さんがいい人で」と息子さんの妻への感謝を忘れない。夫亡き後、町内に住む娘さんとお嫁さんらとの女子会が楽しみなようだ。 (寒)