自身はカーリング初心者だったが知人とチームを作り、協会の北見支部リーグ戦に積極参加。その後、支部大会、オホーツク大会と勝ち上がり、目標の全道大会にも出場した。チーム沖縄の一員として日本選手権の西日本予選会に出場したこともある。「1勝した」
沖縄にも通年使用できるアイスリンクがある。だが利用はフィギュアスケートとアイスホッケーのみ。上地さんが企画し、行政を巻き込んで23年、沖縄で初めてカーリング体験会を開催した。約100人参加し「沖縄にも冬の競技に関心のある人が結構いるんだ」と反響の大きさに驚いた。
帰郷後は柔道整復師の資格を生かした仕事に就くが、カーリングにも何らかの形で関わりたい考え。「いつか全国大会で沖縄と北見のチームの対戦が実現できたらいいですね」
カーリングの普及では特に、若い世代の参入に心を注いだ。
学校授業や体験会で競技指導にあたり、保育園や児童センターに出向きフロアカーリングの出前教室を行った。そんな中から「カーリングを続けたい」という小学生の声を聞き、「続けていくには受け皿が必要だ」と感じた。
隊員として最後の仕事に「一過性ではなくいつまでも続けられるカーリングを」と改めて基盤づくりに励んだ。
親と指導者に協力を仰ぎ、ジュニアクラブ発足の一員として携わった。「続けたいという小学生を受け入れる環境はできた。先の話だが、子ども達が全国大会やオリンピックで活躍してくれることを夢みる。カーリングは、おじいちゃん、おばあちゃんになってもできる競技。気負わず、いつまでも楽しんでもらえれば」とメッセージを残す。
<この項完> (寒)