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連載 蓋のあれこれ 北見自治区 (5)

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2019/05/16掲載(北見市/本紙連載・歴史)

足元から伝わる北見の歴史
デザインマンホール蓋

薄荷草(おすい)
中国から渡来…価格は大豆や小麦の10倍

薄荷草は中国から渡来した“外来種”です。北見地方に持ち込まれたのは1896年(明治29年)。湧別町で栽培が始まりました。北見で作付けが始まったのは2年後の1898年。屯田兵と北光社移民団が北見に来た時期でもあります。

 薄荷は、当時の大豆や小麦の10倍もの値段がつきました。1904年(明治37)に始まった日露戦争で屯田兵が出征している間、家族は薄荷栽培で生計を立てていたといいます。日露戦争後の1911年ころから北見周辺で栽培が急増し、投機的な取り引きも行われるようになりました。

 薄荷生産は明治から1912年以後の大正時代に移り、取引価格を巡る事件が起きます。世界市場で活躍する日本の農産物薄荷は外国の商社「サミュエル商会」を巻き込み、生産者と商社の訴訟問題「サミュエル事件」に発展していきます。

 この事件を機に、生産と収入の安定を目指した北見薄荷工場が1933年に建てられました。

【蓋あれこれ】

 これまで紹介したマンホール蓋は直径が60センチですが、今回の蓋はその半分の30センチです。小さいですね。面積は…4分の1です。細い菅につながっているのでマンホール自体が小さいからです。

 この細い菅は住宅など民間の排水管と公共の下水菅を繋ぐ役割をしています。このため、たいていは歩道と民地の境目にあります。

 蓋には「おすい」と書かれているので、下水を雨水菅と汚水菅に分ける分流化が始まった後に作られた蓋です。

 -つづく-(粟)