■命落とす重大事態
水谷市長がトップを務める市総合教育会議は、2015(平成27)年4月に施行された関連法に基づいて設置。メンバーは教育長と教育委員で、文科省作成の概要版では「首長と教育委員が教育行政の大綱や重点的に講ずべき施策について協議・調整を行う場」となっている。
市総合教育会議は、直近では今年3月30日に開催。この日のテーマは、市内中学校で発生したいじめ問題3件(現在、第三者委で調査中)だった。
12月13日の定例市議会・一般質問で、小田部氏は「中学生が亡くなるという、極めて重大で痛ましい事案が起きたにもかかわらず、(水谷市長は)市総合教育会議は開く必要がないと判断したのか」と疑問を投げかけた。
■矛盾だらけ
小田部氏の質問に対する、水谷市長の答弁は次の通りだ。
①「市総合教育会議は、いじめがあった都度開かれるものではない」
②「網走市における、いじめ問題の総合教育会議の方向は『被害者の支援、加害者の指導』となっている」
つまり、水谷市長は①と②を理由に、今夏に亡くなった中学生の件については市総合教育会議を開催しない判断に至ったということだ。
市総合教育会議、なぜ開かない
小田部氏の質問に正面から答えず
水谷市長が議会で示した①と②については、理屈が通らない部分が多い。次の通りだ。
①について=今回の件は、市いじめ問題専門委員会で重大事態と認定し、第三者委が設置され、すでに調査が始まっている。重点的に講ずべき施策について協議・調整するべきだ。
②について=総合教育会議は〝いじめに特化〟して話し合う場ではない。しかも、今回の件はいじめの有無については調査中なので、水谷市長の言う「被害者の支援、加害者の指導」という考えは、被害者も加害者も存在しない現時点でまったく筋違いだ。
■奇妙な軽さ
12月13日の小田部氏の一般質問に、水谷市長はすべて正面から答えなかった。原稿を棒読みするだけで、中学生を亡くした遺族に対する誠意の言葉は最後まで聞くことはできなかった。
ネット中継で傍聴した、市内中学生の母親は「網走の中学生が亡くなり、いじめの重大事態と認定されたのに、水谷市長の答弁姿勢からは〝奇妙な軽さ〟を感じた。まるで他人事みたい」
別の男性保護者(小学生と中学生を育てる)は「今回の件を機に、水谷市長の陣頭指揮によって、不登校や学習サポート体制、カウンセラーによる支援などの解決策を考えてくれることに期待していた。水谷市長の答弁はよく理解できなかったのが残念」と話していた。
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水谷市政は、網走の子ども達のためにどのようなまちを作りたいのだろうか。小田部氏の質問に対する水谷市長の答弁からは、将来像を感じ取ることはできなかった。